ばんない写真館
紫宸殿や清涼殿をつなぐ渡り廊下の下をくぐり順路を進みます。
次の見学ポイント小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんしょ)です。
左側にちらっと見えている建物の手前にある方が小御所、奥にある方が御学問所。
※一番奥に見えている巨大な屋根の建物は御常御殿ですが、後述。
小御所(こごしょ)は清涼殿のような平安風寝殿造りと書院造りの中間のような建物です。
配布されたパンフレットによると、皇太子元服や将軍との対面のようなやや略式の儀式の時に使われた御殿だそうですが…ここを何よりも有名にしたのは1867年(慶応3年)12月の「小御所会議」の会場になったことでしょう。
残念ながら今の建物はその当時の物ではありません。1954年(昭和29年)の花火大会の失火により全焼、その後再建された物です。ちなみにこの火事後、京都市内では大規模な花火大会が出来なくなったそうです。
奥に見えているのが
御学問所(おがくもんしょ)。こちらは書院造りで、本来は名前通り天皇に学問を講義する建物だったようですが、親王宣下など略式の儀式や和歌の会にも使われたそうです。
この小御所と御学問所の間にある白砂の広場が通称”蹴鞠の庭”です(
写真撮ってなかった_| ̄|○)
※クリックで写真拡大
この小御所では毎回テーマを変えて宮中風俗を再現した人形を展示しています。今回はちょっと年喰ったヾ(^^;)「五人囃子」
後ろのふすま絵も
清涼殿のついたてと同じ大和絵風です。
こちらは御学問所のふすま絵。
左から下段の間「岳陽楼図」(原在照)、中段の間「蘭亭ノ図」(岸岱)、上段の間「十八学士登瀛州図」(狩野永岳)
小御所とは絵柄の雰囲気も違います。担当したのは
諸太夫の間の画家と同じです。
この小御所と御学問所の前、東側に向かって設けられているのが「
御池庭(おいけにわ)」、通常京都御所の庭というとここを指すことが多いです。
いわゆる「池泉回遊式庭園」、つまり池を散歩して楽しむタイプの庭園で、
手前は砂浜を模した石が敷き詰められているなど凝った構成になっています。
また、
橋は池面より高めに作られていますが、これは船遊びをしたときに舟で下をくぐれるように設計されたものです。砂浜の中にある飛び石は舟に乗るための便宜を図った物です。
反対側から見ると、木がうっそうと茂っているためか全く別の庭みたいです。
角度によって印象が変わるのも池泉回遊式庭園の特徴です。
ちなみに設計はあの小堀遠州と伝えられています。
小御所・御学問所と北側の屋敷群は塀で仕切られています。塀の北側が江戸時代は天皇のプライベートスペースとなっていました。江戸城の中奥に相当する場所と考えればいいのではないかと思います。
このプライベートスペースで最大かつ中核の建物が、先ほどから何回も名前が出ている
御常御殿(おつねごてん)です。屋敷の名前の通り、通常生活を送る場所となっていました。作りも障子や襖で各部屋が仕切られるなど完全な書院造りです。
部屋は15部屋もあるとのことですが、公開されているのは東側の庭に面した3室と南面の3室(合計6室)です。
東側の部屋の中の様子はこんな感じ
1、
2。御学問所に似ていますが、画題が日本の風景になっているなどやや軽めのように思います。
縁側のしきりに板戸がありそこにも絵が描かれています。南側から
「陵王納曽利」(原在照)、
「曲水」「蹴鞠」(両方とも岡本亮彦)
※写真でも該当箇所をクリックすると拡大
この御常御殿の東側にも庭(
御内庭(ごないてい))がありますが、先ほどの“御池庭”と違ってこじんまりとした作りです。
庭の奥にはこんな茶室?
が設けられたりして、いかにも私的空間です。
この御常御殿の奥には「迎春(げいしゅん)」、「
御涼所(ごりょうしょ)」
と呼ばれる田舎家風の建物があり、更にその奥には「御花御殿(おはなごてん)」また名茶室として知られる「聴雪(ちょうせつ)」などがある…らしいのですが、今回の特別公開でも公開対象ではありませんでした(T-T)残念!
おそらく御常御殿でもかなり広すぎ、かつ格式張って過ごしにくくなり、このようなこじんまりとした別棟が実際の生活空間になっていたのではないかと思われます。
御常御殿の南側ですが、こちらは部屋の作りは書院造りですが戸は室町以前の跳ね上げ戸になっているなどやや古風を残した作りです。
こちらでは女御入内の儀式の一つ”三献の儀”を実物大人形で再現してました。
※写真の一部をクリックで拡大
”三献の儀(さんこんのぎ)”とは御常御殿中段の間で女御自ら天皇に酌をし、次に天皇から酌を受けることを三回繰り返す儀式のことだそうです(と説明板にあった)
絵は上段の間「尭任賢図治図(じょうにんけんずちず)」(狩野永岳)、中段の間
(十二単の人形がいる場所)「大禹戒酒防微図(だいうかいしゅぼうびず)」(鶴沢探真)、下段の間「高宗夢賚良弼図(こうそうむらいりょうひつず)」(座田重就)
さて、御常御殿の西に続きに建てられているのが
御三間(おみま)です。
この建物は書院造りで、上段の間(右写真)「朝賀図(ちょうがず)」(住吉弘貫)、中段の間(中写真)「賀茂祭群参図(かもさいぐんさんず)」(駒井孝礼)、下段の間(左写真)「駒引図(こまひきず)」(岸誠)と描かれています。御学問所や御常御殿のふすま絵に比べると画題も和風であっさりした絵柄なので、ややくだけた役割のあった御殿ではないかと思われます。
御常御殿(左)と御学問所(右)…の西側(裏側)
通常の一般公開ではここまでで終了…ですが、今年はまだ続きがあります。
では続きこと今年の目玉「
京都御所の後宮」へ向かいましょう。