ばんない写真館
表紙写真>2006年度>月ヶ瀬の梅と伊賀上野2
12:35分頃。定刻よりちょっとだけ遅れてきた三重交通バスに乗車。
乗客は私だけ(^^;) そのあと尾山バス停(梅林の入り口)で何人か乗車されましたが。
伊賀上野方面は奈良方面と違ってそれほど登りもカーブも急ではなく、なだらかな丘を降りていくという感じです。
バスはやがて国道25号線にはいる。
バスの中から撮影
このスーパー農道ヾ(--;)が国道25号線です(○。○)
噂には聞いていましたが…(噂の数々 1 2)一車線かよ!
ちなみに現在「国道25号線」というと普通はいわゆる「名阪国道」を指します。こちらは高速道路並のすばらしい道。というか、昔は有料高速道路だったんですけどね。(農道25号線の向こうに見える名阪国道のちっとわかりにくい写真はこちら)
そしてこのバスはそのままこのスーパー農道(ヲイ)を突っ走り、そのまま伊賀上野市内に突入。月ヶ瀬からの所要時間約30分。そりゃ奈良より近いはずです…。
終点の「上野産業会館前」は実は近鉄上野市駅に面したロータリー。
「上野産業会館」から撮影した近鉄上野市駅と伊賀上野城。
※クリックすると大きな写真を別ウィンドウで表示します
ところがこの「上野産業会館」というのが名前ばかりが立派な代物でして。中にはアヤシイ土産物屋とバス待合所しかないというトンデモスポット。ここにマクドナルドか何かあるだろうという期待は完全にはずれました_| ̄|○
駅の周辺を見ましたが、休憩できそうな手頃な喫茶店は全く見あたらず、やむを得ず、そのまま伊賀上野城に強行登城ヾ(--;)する。ちなみに公園の入り口までは上野市駅(+上野産業会館バス停)から歩いて5分。しかもそんなに登りじゃないので比較的らくちんです。…最も公園として整備され過ぎているのでお城に行ったという感じがしないのも事実。
公園の中を歩くこと10分で本丸に到達。
公園入り口方面(旧二の丸)から見える天守閣。雄大。※クリックすると拡大写真を表示
本丸南西隅から見た天守閣 ※クリックすると拡大写真を表示
伊賀上野城の説明はこちら(お城の旅日記)とかこちら(wikipedia説明)が詳しいので、当hpでは詳細な説明は省く。
ここは津藩・藤堂氏の領地であったのだが、本城は現在の三重県津市にあり、ここは「後詰めの城」という役割だったらしい。以前に同じ藤堂氏領地であった名張市を訪れたことがあるが、虐げられた名張に対してこちらは街道筋(大和街道)ということもあっていい扱いを受けていたようだ。
南東隅から見上げる伊賀上野城天守閣
※麓の立て看板をクリックしてみてください。お茶目な最後の一行に注目
天守閣の正面には、なんとこんな石碑もありました。北朝鮮帰国事業の記念碑です。なぜここにこんなのがあるのか理解に苦しむが、説明もないので事情は不明。
ところでこの天守閣はいわゆる「復元天守閣」(写真や設計図などのちゃんとした史料に基づいて再建した天守閣のこと)ではありません。実は伊賀上野城には天守閣は建てられなかったのである。この天守閣は昭和10年に地元選出の衆議院議員・川崎克氏の寄付を元にして造られた「模擬天守」(=無かったものを想像と願望で造っちゃったナンチャッテ天守閣)なのである。
…つまり嘘天守 ヾ(--;)
おまけに藤堂高虎が計画していたのは5階建ての天守閣だったが、この模擬天守は3階建てなので、本来なら石垣いっぱいに立っているはずの天守閣の周りに隙間があるのである。あり得ない…。
この天守閣ができたのには裏話がある。地元の有志が川崎氏の銅像を造ろうとしたところ
「そんな恥ずかしいものを造るより、将来この町の遺産になるようなお城を造ってほしい」
という川崎氏の願いによりできたものなのだそうな。…ええ話や(T_T)
が、天守閣の最上階になぜか存在する川崎氏の像 _(。_゜)/
川崎氏は安土桃山文化に非常なあこがれがあったらしく、嘘天守の外観は唐破風や入母屋屋根を駆使した見栄えのする作りになっている。しかも、川崎氏の希望により木造にこだわったそうだ。
中も安土桃山風
( ゚д゚) ポカーン
…合天井の天守閣ですか_| ̄|○ 姫路城とか彦根城の天守閣は普通に板天井ですが…。
ちなみに中は藤堂家関係の鎧などが展示されています。あまり保存状態のいいものがないのが難ですが。
ここの一番の見所は最上階でして
…天守閣にあり得ない合天井なのはおいといて(^^;)川崎氏と親交のあった有名人の色紙が張られています。これは見物でした。
※クリックすると拡大画像のあるものがあります。
この天守最上階からの景色は非常にきれいです。天守北側窓より
ちなみに右に見えるかやぶき屋根の金閣寺もどきヾ(--;)が松尾芭蕉をまつる「俳聖殿」。
この時代は天守閣復興ブームだったようで、淡路城、大阪城、珍しいところでは羽衣石城(うえしじょう)のトタン天守(○。○)など、考証のアヤシイ天守閣がじゃんじゃん造られた時代でした。ただし、それらのナンチャッテ天守も今や築60年を越え、大阪城天守閣などは国の登録文化財になっています。この伊賀上野城天守閣は今のところ指定を受けてないようですが、今後これだけの木造天守閣を造るのは材料の関係で難しいことや、この有名人色紙の天井、また「第一次天守ブーム」時代の象徴として登録文化財になる日もそう遠くはなさそうです。
…でも登城料金¥500は高すぎるように思いましたが。(ちなみに国宝姫路城の入場料は¥600)
この伊賀上野城は「日本一高い石垣」というので有名です。ちなみに実測した結果、「真の日本一高い石垣」は大阪城だったそうですが_(。_゜)/
ではその「日本一高い石垣」をごらんあれ!
※クリックすると大きな写真表示
…身を乗り出して撮影したのですが、当然命綱もなく、しかもこの日はけっこう風もきつかったのでマジで死ぬかと思いました。高所恐怖症の人は絶対石垣の縁に近寄らないように!
この後城を退去し(^^;)、麓にある国史跡「崇広堂」へ向かいます。
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