ばんない写真館
天秤櫓をくぐり、屈曲した坂を登っていくと、左手に茶屋と鐘楼が見えます。
鐘楼は「時報櫓」といいます。が、通常の城の櫓とは違い、お寺の鐘楼みたいな形です。名前の通り城下町に時間を知らせるために作られた物で、現在も1日5回時を知らせており、
環境省選定「日本の音100景」にも選ばれています。
この鐘ですが、十二代藩主・井伊直亮(井伊直弼の兄)が音をよくするために改鋳し、その時に大量の
小判を使ったと言われています。ということはかなり金を含有している鐘と言うことになるのですが(^^;)
隣の茶屋は「聴鐘庵」という名前で、\500でお茶の接待が楽しめます。ちなみにこれは昔からある建物ではありません。
時報櫓を過ぎてもうちょっと頑張って登ると、櫓門が見えてきます。
時報を知らせる太鼓が置かれていたことから「太鼓櫓」と言われています。
これも国の重要文化財。
彦根城の建物には移築伝説がある物が多いのですが、
実はこの太鼓櫓も移築だったそうです。
昭和31年の解体修理で、元々大きかった城門のサイズを小さくしてここに持ってきたことが判明したのですが、どこの城門を持ってきたかまでは突き止められなかったようです…。
ちなみにこの太鼓櫓は「彦根城が出来る前にこのお山にあったお寺の山門を移築した!」…と井伊家では伝えられていたみたい…違うぞヾ(--;)
ちなみにここも通常は非公開ですが、この400年築城記念で公開していた
みたいです。「みたい」と書いたのは、あっさりスルーしてしまい、帰宅してパンフレットを見ていて初めて内部公開していたことに気が付いたからで…不覚_| ̄|○
この太鼓櫓を通ったところにある一番の高台が、彦根城本丸の中でも天守のある中核「天守曲輪」ということになります…今は太鼓櫓と天守閣しか残っていませんが、往時にはもう一つ櫓がありました。「
月見櫓」です。名前の通り月見にも使われたようですが、本来の役割は監視。つまりもともとは「つきみ」は「着見」だったわけです。
月見櫓跡から琵琶湖方面
月見櫓跡から伊吹山脈方面
月見櫓跡から名神高速道路彦根インター付近を見て
手前にある低い山が、石田三成の居城であった佐和山城の跡です。
関ヶ原の合戦直後に落城、残っていた建物も彦根城に転用されたり破却されたりして堀などぐらいしか残ってないらしい。
※滋賀県教育委員会の発掘報告書はこちら
ちなみに赤丸で囲んだのがマニアには有名なヾ(^^;)
「佐和山城(自称)」です。
※正式名は「佐和山遊園」らしい…
月見櫓跡から見下ろした
彦根城博物館(表御殿跡)手前の御殿群と
佐和山多聞櫓奥の長屋状の建物
月見櫓跡から見たJR彦根駅方面
手前に見えている白い蔵みたいなのが佐和山多聞櫓
月見櫓跡から見た天守閣
次はいよいよ
天守に登ります
続く。