建仁寺の次に伏見稲荷大社に向かいます。 離れた場所にありますが、京阪電車を使うと移動もスムーズ。 建仁寺を出て四条通りを西に向かうと京阪四条駅に出ます。(goo地図)そこから普通に乗って5駅目「伏見稲荷」で下車。乗り継ぎがスムーズなときの所要時間は20分程度です。
これが京阪電車の伏見稲荷駅 ※クリックすると拡大写真を表示します ペイントが朱色というのも度肝を抜きますが、駅横のお茶目な「伏見稲荷大社」への案内板も朱色です。 ちなみに平行してJR奈良線も走っていますがそこにも「稲荷駅」があり やはりペイントは朱色です。 ※クリックすると拡大写真を表示します ちなみにJR西日本の駅名看板は下がブルーなのですが(参考・JR加茂駅)ここはそれも朱色。徹底してるなぁ…。
さて京阪の伏見稲荷駅からの参道は、京都の神社にはちょっと珍しいディープな雰囲気。 お稲荷さんにふさわしからぬ?アヤシイ建築物 (伏見稲荷大社の施設の一つらしいですが、看板もなく、どういう目的の建物かは不明です) 基本的にうどんやが多いです。 やはりきつねうどんが名物らしい。 通常京都の土産物屋といえば(気をつけないと滋賀県産の)八つ橋と(おそらくメイドインチャイナの)新選組グッズが目に付きますが、ここの門前にはそういう物はほぼ皆無です。 目に付くのは… 神具屋。 招き猫、神棚多し!でもこんなデカイの買ってどうやって持って帰るのか…(-_-;) そしてこれ(○。○) ※一種のグロ画像と思われ、心臓の悪い方への配慮のため画像を縮小しています。勇気を出してクリックすると拡大します。 「これ」が名物なのは伏見稲荷大社の神様・稲荷神(注)が米の神様で「これ」らと相性が悪いために、「これ」を焼くのが稲荷神への信仰になるとされたのですね。 まあ、毛沢東は調子に乗ってこのお供養を大規模にやらかしたヾ(^^;)ためにかえって大凶作を招いて大勢の方が飢え死にしたようです(「大躍進政策」と言います)ので「これ」を退治するのも程々にね。 (注:誤解している人が多いですが、狐は伏見稲荷の祭神ではありません。狐は狛犬代わりです。)
駅から徒歩5分でここに到着。※クリックすると拡大写真を表示します お正月のニュースで毎度おなじみのこの光景、実は鳥居の後ろの楼門は豊臣秀吉が天正17年に寄贈したことが明確な貴重な建物なんだとか。 ちなみに上の写真で右側に見えている白い壁が、今回史上初公開となる「荷田春満の家」です。 京阪「伏見稲荷駅」からの参道は、実は脇参道なんですね。 もっともJR「稲荷駅」に出る本参道は駐車場ばかりで何もありません_(。_゜)/
荷田春満の家は、伏見稲荷大社の楼門すぐ右手にあります。 ちなみに隣にある小さい神社が春満をまつる「東丸神社」。 玄関 南側より 現在は玄関と座敷の一部(8畳間2つ続きだったかな)しか残っていない。国重要文化財。 内部の写真撮影は不可だったが、床の間のあたりに神官の邸宅らしい簡素な風情が。 しかし濡れ縁などは風化していてかなりやばい様子(^^;) 荷田春満は「国学」の始祖といわれる学者で、この伏見稲荷大社の社家の一つ「羽倉家」出身。身の回りにいろいろな史料がそろっていたので、国学を研究する素地があったわけですね。 ちなみに春満は赤穂浪士・大高源吾と知己であり、大石内蔵助良雄とは遠縁だったらしい。吉良上野介義央の句会の情報を伝えたのはこの春満だったとか。
東丸神社からやや山よりの奥まったところに、もう一つの特別公開「御茶屋」がある。公開は14年ぶり。 ※好天で逆光のため、色調処理しています。 ここはその名の通り、伏見稲荷関係者の接待のための茶室が建てられているのだが、一番入り口にある物が後水尾天皇の茶室を下賜された物と言われ、国重要文化財。 毎度おなじみのいい加減な御茶屋図 ※地図上をクリックすると関係写真が表示されます。
稲荷山の急斜面を利用して下の方に大きめの建物2つ、上の方に茶室3つをぎゅうぎゅうに詰めたものです。傾斜を利用しているのでそんなに狭さは感じませんが。飛び石づたいに歩かなければいけないのでここを見学されるときにはハイヒールじゃない方がいいと思います…。って、次の公開いつになるやら分からないのですが(^^;) 茶室1,茶室2は締め切ってあり完全に見られませんでした(T_T)。茶室3には2つの茶室が備え付けられていますが、両方とも床の間の間口が異様に広いのは古式とされていて珍しいかも。 2階建ての座敷は比較的新しい物と思われ、ここも中には入れませんでした。ただ、開けはなってあり、棟方志功のふすま絵を見ることができました。撮影不可だったのは本当に残念。 重文の御茶屋は、中に上がって見学できました。8畳の控えの間と7畳の奥の間から成り立っているのですが、書院の作り方や違い棚の設置場所が古風で、座敷と茶室をミックスする途中の江戸時代初期を代表する座敷といわれています。7畳の奥の間は違い棚の前(床の間の隣)に余分な1畳?があるのですが、どうもここが本来お茶を点てる手前座だったのではないかといわれています。現在は炉などは切られて無く、事前に勉強しないとここが茶室だったとは分からないです。 写真で分かるように、屋根の作り方が桂離宮や修学院離宮の建物とよく似てます。
その他の伏見稲荷大社 拝殿(奥にあるのが本殿)※クリックすると拡大写真を表示します 本殿(横から) ※好天で逆光のため、色調処理しています。 まー、さすが正月参拝者数日本5ヾ(--;)の神社なだけあります。もうかってまんなぁ。 本殿は神撰を下げる途中だったのだが、タイミングが合わず写真は撮れませんでした(T_T) 本殿に向かって右側には巫女さんが舞う祭殿があるのですが、なぜかこちらの撮影だけがアウト。警備員さんに烈火のごとく注意されますので気をつけましょう(現に私も_| ̄|○) 奥の宮への参道 ※クリックすると拡大写真を表示します 奥の宮への参詣は霊験あらたかとされ、他都道府県からの参拝者も多いです。 が、ものすごい山道で、ある程度の支度は必要らしいです。間違ってもパンプスやハイヒールで突入しないように。
omake(^^;) 帰りは用事のため京阪じゃなくJRを使ったのですが JR前(伏見稲荷大社の鳥居前)のせせこましい生活道路(旧国道24号線) 非常に交通量が多く、車や猛スピードの自転車が平気でつっこんできますので、通行には気をつけてください。 門前の某旅館に貼られていた紙 …このあたりの住人は、伏見稲荷の氏子じゃなくて藤森神社の氏子になるんですね…(藤森神社についてはこちら)うーむ。
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