きものの邪道。
着物の邪道>緊急特別企画?2004年度時代祭横島(^^;)中継>平安時代 (平安婦人行列)
何故か牛車に乗っていないのがあやしいヾ(--;)公卿行列に続くのが、時代祭最後の華?平安時代の婦人行列です。
栄えある平安婦人の先頭を切るのは 巴御前 です。…正面から撮った写真、ピンぼけだった(T-T)
実は
中世婦人の最後を飾った静御前とほぼ同時代の人というつっこみはおいといて(^^;)
平安末期を代表する文化の一つとも言える「大鎧」がかっこいいです。
鎧は余り詳しくないのでなんなのだがf(^_^;)、これ、何威しって言うんだろう、くすんだ黄緑色の鎧が、かえって女性らしさを強調して良かったです。
その次に登場するのが、来年の大河ドラマの主人公・源義経の母として知られる 常磐御前 です。
奈良に落ち延びていくときの格好をもしているようです。
そのため秋晴れの日というのに、足下にはかんじきらしい物を履いてられます。
着物は「壺装束」と言われる物ですが、平安時代の貴族女性は袴をはくべきなのに、この常磐御前は袴をはいていません。武将の妻だから貴族女性の格好である袴はおかしい、と言うことなのでしょうか。
頭にかぶってられる笠は「むしのたれ衣を垂らした市女笠」
鎌倉時代の阿仏尼の壺装束と比べると面白いかも。
その次が、時代祭での注目ポイントの一つである 清少納言と紫式部 です。
(前にいるのが清少納言、後ろが紫式部)
この二人の着用している着物、微妙に違うのが分かりますでしょうか。
清少納言が着用しているのが「裳唐衣五衣(十二単)」
紫式部が着用しているのが「”け”の装束」(袿と単と袴)
清少納言の装束の方が公式の物で、紫式部の装束が通常の服なのです。
一部邪魔な人がいますがヾ(--;)後ろ姿です。
和宮と比べると、微妙に違いが分かって面白いかな?
紀貫之の娘 だそうです。
貴族女性の外出姿である「壺装束」です。上の常磐御前と比べると微妙に違うのが分かりますか?
こちらは袴をはいています。ちなみに独身女性のために「濃色(こきいろ)」という紫の袴をはいています。
これが 小野小町 です。
百人一首の姿しか知らない人は驚くんでは無かろうか。
小野小町は9世紀の人のため、まだ宮中には唐風の文化が根強く残っていたのでした。で、彼女の格好も唐風。
ちなみに上記の紀貫之の娘との間には約100年の開きがあります。100年で変われば変わる物だ。
前方 和気広虫 後方 百済王明信
両方とも古代史にかなり詳しい人じゃないと分からない女性でしょう。
和気広虫は和気清麻呂の姉で奈良時代中期〜平安初期に生きた人。ちなみに平安時代には尼さんになっていたはずなのだが(^^;)
百済王明信(後ろの輿に乗った人)は桓武天皇の女官で藤原継縄の正妻、でありながら桓武天皇の愛人説が消えない人です(^^;)ちなみに名前から分かるように百済の王様の子孫でらっしゃいます。
すぐ上の小野小町とは50年以上の開きがありますが、また微妙に違う格好ですね。
百済王明信の後ろ姿。
まるで奈良時代の女性(確かに奈良時代後半から生きた女性ではあるのだが>明信(^-^;)
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