ばんない写真館
表紙写真>2007年度>嵯峨嵐山>遍照寺
思ったより広い境内で妙に見所満載の清涼寺、霊宝館を泣く泣く切って、
本日のメインイベント「京都非公開文化財特別公開 遍照寺」へ向かいます。
…実は、京都に○○年住んでいたが「遍照寺って何それ?」…初耳の寺だったりします(^^;)
ネットで事前に調べていて、嵐山からはやや離れて交通不便なことを確認していましたので、バスで遍照寺最寄りのバス停「広沢御所ノ内町」に向かいます。やはり乗り放題の「するっと3days」チケットは便利。
乗車すること約10分。「広沢御所ノ内町」に到着。
ところが案内する看板も何も立っていません(○。○)…降りるバス停を間違ったのではないかという不安に駆られつつ、野生の感で北の方へ向かう細い道を曲がります。これが大正解でした。
おそらく旧道っぽい細い道。細かく住宅が立ち並びます。
…こんな所に、そんな寺なんかあるのだろうか…
と思っていたら、お寺らしい物が見えてきました。
正直言って「(京都では)そこら辺にあるような平凡なお寺」で、こんな所が特別公開するようなたいそうな物なのかと思って
門前まで行ってみると …( Д)...。。コロコロ
こんな寺に(しつこい)特別時じゃないと公開しない秘宝があるとは京都恐るべし!!!
では入ってみましょう。
山門 参道
本堂
この本堂につながった倉庫みたいな物(写真では木の陰でうつっていませんが)に、今回の目玉「重要文化財 十一面観音立像」「重要文化財 不動明王像」が安置されています。
本堂で今回の拝観料800円を払って、ご本尊様達を拝見します。
正直言って入れ物が入れ物なので、仏像のすばらしさが半減ヾ(^^;)…だと思ったのですが、当然そんな感想は言わずにだまって観賞してました。2体とも仏師・康尚(あの平等院鳳凰堂の阿弥陀仏を作った定朝の父)作で、平安時代中頃の物と推測されています。ほそーいお目目とそれと釣り合いがとれてないようなずんぐりむっくりのパタリロ風ヾ(^^;)な顔つきが、確かに御おどろおどろしい作風の平安初期とまったり藤原文化風の中間という感じが出ています。
次にこれまた新しそうな庫裏に移動し、「後宇多天皇の御宸翰」等を拝見します。
さて。
一見どこにでもあるようなこんなお寺が、どうしてこれほどの寺宝を持っているのか?
それは、この寺の歴史に理由があります。元々この寺はこんな小さいお寺じゃなくて、大覚寺に匹敵するような大寺だったのです。場所もここではなく、北側の広沢池に面していました。広沢池自体、自然にあった池ではなく、遍照寺を作る際に庭として作った物とも言われています。遍照寺の開山・寛朝僧正は宇多天皇の孫で、平将門の乱平定の祈祷のために関東まで赴き、成田山新勝寺を建てたことで有名です。…今じゃ新勝寺の方が遙かに大きくて、京都の本山の方はこんなんですが_| ̄|○
遍照寺はどうも寛朝僧正の人気に支えられた面が大きかった寺のようで、寛朝の死後には早くも衰退してしまっていたようです。鎌倉時代に隣の寺・大覚寺にはいった後宇多法皇の援助で再建されますが、今度は応仁の乱でやはりやられてしまったのでした。遍照寺が再建されたのはなんと文政年間(1818〜1830年)頃。仏像が残っただけでも奇跡なのです。
では、最後にその遍照寺の旧所在地・広沢池に向かいます。
<おまけ>
広沢池で 案内図発見_| ̄|○
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