ばんない写真館
表紙写真>2007年度>嵯峨嵐山>広沢池
遍照寺を出て、旧遍照寺跡地こと広沢池に向かいます。
途中でこんな神社発見→ 「富岡大明神」と言うそうです。
この辺は古墳が多いので、これもたぶん古墳でしょう(予想のでまかせヾ(^^;))
歩くこと5分で広沢池到着。
実は子供のころから気になっていた池の畔の神社に行ってみることにします。遂に○○年の謎が解決する日が来たヾ(--;)
児神社(ちごじんじゃ)
…何とも不思議な名前の神社ですが、この神社にも遍照寺開山の寛朝が関わっていました。
以下、境内の説明版から引用します。
児神社は創立年月未詳、祭神は寛朝大僧正の侍児である。
寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の
地に遍照寺を建立、名僧正として、徳は一世に及ぶもの無しと
いわれた。長徳四(九九八年)六月十二日、大僧正示寂、伝
聞ではその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天
していく姿が見えたという。残された児は悲嘆・悲泣し、
後を追い、山腹下に広がる広沢の池に身を沈めた。近在の人
々、この児を哀れと思い、その霊を慰めんとこの社を創建、以後
児神社と言われるようになった。
(以下略) |
※続きも見たい人はこちら
…( Д)...。。コロコロ
…これって…ま さ か(以下自粛)
いや、○○年も謎だった神社がこんな所とは思いもよりませんでした(汗)
次はよく二時間ドラマなどでロケに使われている、広沢池の奥の方に向かってみます。
大通り沿いとは又違った風景になってきました
同じ地点から大通り側を写すとこんな感じ。
やがて半島のような物が見えますので渡ってみます。
これはよく時代劇で見た光景ですね!
この千手観音石仏は、旧地に残った唯一の遍照寺の遺物ではないかといわれています。※石仏をクリックするとお背中拝見
ここは予想以上に雰囲気が良くて、もっと写真を撮りたかったのですが、実は写真には頑張って写さなかった物の4、5人もの先客がいてゆっくり写真撮影できない雰囲気でした_| ̄|○
ちなみに、この半島の入り口付近に遍照寺と広沢池についての京都市の説明板がありますので、もし行かれることがあったら一読されることをお奨めします。
この半島の対岸も良く撮影に使われます。
『剣客商売』などで藤田まこと演じる秋山小兵衛の隠居場所として見た記憶のある方が多いのではないでしょうか。
実は新興宗教・世界救世教の敷地のようです。
※写真をクリックすると拡大
ところで、広沢池の西側も良く撮影に使われる場所です。おそらく「特別景観地区」指定で、開発が厳しく制限され、建物が少ないからでしょう。
観光客でにぎわう嵐山のちょっと奥に、平成の今もこんな光景があるとは驚きです。
写真では伝わりにくいのですが、実際は神々しさにため息が出ました。
ちなみに奥に見えるてっぺんにこぶが出ているような山が愛宕山です。
この後、大覚寺も見たくて頑張って歩いたのですが、さすがに時間切れで間に合いませんでした_| ̄|○
悔しいから建物だけ撮影
大覚寺の門前は京都バスのターミナルになってますので、そこから京都バスに乗り、電車を乗り継いで帰宅いたしました。やはりするっと3daysチケットが役に立ちました。
<おまけ>
大覚寺門前のややこしーい交差点にあるガソリンスタンド
2007年11月時点のガソリン代は… …今ではこれでも安いと思ってしまうのが悲しい…
ところでこのガソリンスタンドは「六道の辻」に建っているのね。
※「六道の辻」とは仏教で言うところの「地獄の入り口」、ちなみに京都ではここより東山の六道珍皇寺の方が「六道の辻」として有名である…いっぱい地獄の入り口がある京都(^^;)
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