2006年11月。またまた(^^;)恒例の正倉院展に行って参りました。去年の記録はこちら 今年もこれを使いました。するっと関西3days!去年の使用レポートはこちら
好天に恵まれた奈良は態度の悪い修学旅行生が多く思わず後ろから蹴ってやろうかと(をい) それはおいといて。
今回は先に興福寺の特別拝観を回ることにしました。 今回の特別拝観対象は
です。境内の地図はこちら
まずは北円堂から。最もここは今回が初めての特別公開ではなくて、常に春のゴールデンウィーク、秋の正倉院展にあわせて限定公開されています。 現在興福寺に残る建物では最も古い(といっても鎌倉時代)もので、建物はもちろん、中にある仏像の多くが国宝指定されています。特に運慶作の無著・世親立像が有名です。 そのお姿をちらり。違反すれすれ写真(^^;)ごめんなさーい ※クリックすると大きく写真を表示
次は三重塔。 水煙まではいらなくてごめんなさい<(_ _)> 水煙が写っている写真はこちら 興福寺というと五重塔の方が有名ですが、三重塔もあるのです但し隅の目立たない場所。ちなみに建立年が古いのは三重塔の方ですが、古い形式で建てられている五重塔の方が見た目は古く見えます。例年は7月7日のみの限定公開です。 三重塔は興福寺の中で最も初回建立年が新しい物で、皇嘉門院藤原聖子によって1143年(康治2年)に建てられました。最もそれからわずか36年後の1180年(治承4年)に平重衡の「南都焼き討ち」であっさり全焼してしまいます。その後建てられたのが今のこっているこれ。場所が悪かったのが幸いしてその後の大火や放火からは逃れられたようです。 数年前興福寺五重塔を拝見したときには中に入れたのですが、さすがにこの建物は小さいので縁側から中を眺めるだけです…。 南側内陣を違反すれすれ写真(^^;) 五重塔内陣には仏像が飾ってあったのですが、こちらは壁一面に小さな仏像を延々と連ねた仏画があるだけでした。北側では一部その様子が復元されていましたが、そこから推測するに当初は神々しい物だったようです。 東側には高さ40cm前後の小さな弁財天像(江戸時代)が納められていますが、元々他の堂にあった物が明治時代になってうつされた物と言われています。 この三重塔の敷地内北西隅にこんな物発見→ 石碑は「窪弁財天 御」まで読めるが以下不明。今三重塔にある弁財天と関係があるのかな?
次に向かったのは仮金堂。 元々講堂のあった場所に建っています。 現在の建物は薬師寺の建物を払い下げてもらった物と記憶していますが、手元にある説明書には書いてない(T-T)この仮金堂も北円堂と同じく春と秋に限定公開されています。手前のビニールシートのかかっている部分が先代仮金堂のあった場所で、現在「平成の大復興事業」に伴い事前発掘+復元中。 享保2年(1717年)に鎌倉時代に再建した金堂が焼けてしまい、しかもその後財政難となった興福寺では金堂を再建することが出来ず(T-T)。結局文政2年(1819年)に信者が再建した仮中金堂がついこのあいだまでありました。そのお姿はこちら記憶にある人も多いんでは。ところがこのお堂はさすが安普請ヾ(^^;)松材だったのであっちゅうまにシロアリにやられて、近年では周囲を鉄骨で支えるという有様でした…(これも記憶にある人多いんでは)。そして今世紀に入り、遂に再建という運びになったのです。 本尊の釈迦如来像はこの仮中金堂と同じ頃文化8年(1811年)に作られた新しい物です。…ちょっと目がつり上がりすぎて品格がなかったというかヾ(^^;)。周囲を固める像は鎌倉時代の物が多いです(これらも元々中金堂用に作られた物ではなく、興福寺の諸房から疎開した物が多い模様)
このあと時間の都合により(^^;)ならまち方面に向かい先に土産を調達します。 三重塔の横の階段をならまち方面に下りると江戸時代の高札が復元されていました。(中にはちゃっかり現在の店の宣伝も混じっています) 観光客がわんさかいる三条通をちょっとだけ西へ向かい、南都銀行の前辺りで左折。 「もちいどの道」にはいります。 数年前は今にもアーケードの屋根抜けるんちゃうかという悲惨なところだったんですがねぇ(^^;)ちなみに「もちいど」は正式には「餅飯殿」と書くそうな。 入ってすぐ右手に「萬々堂通則」があります。 正確な地図はこちら ここの名物は ぶと饅頭。「ぶと」は春日大社の神撰(お供え物)の一種で、要はドーナツである。 ぶと饅頭はこの春日大社の許可を得て、ぶとの中にこしあんを入れた「和風餡ドーナツ」?として開発された物。 「春日ぶと」の文字 中身はこんな感じ 大きさは10cm程度、生地は結構硬めで、生地とあんこに独特の芳香があるので餡ドーナツとは言いきれない味。 一個183円也。ばら売りもOKです。 更に「もちいどの道」を南下するとアーケードが切れ、古めかしい住宅街に入ります。 目の前の交差点を越えるとそこは「ならまち」。にしても住宅街と思えないくらい観光客多い この交差点を渡ってすぐに「御菓子司なかにし」があります。 「萬々堂」とはずいぶん違う雰囲気ですね。中で抹茶と好きな御菓子で休憩することも可能です(但し席数が非常に少ないので早者勝ち) こちらでは生菓子を4点購入。 左上:なかにし名物「庚申さん」 ならまち名物「庚申さん(別名さるぼぼ)」という縁起物をかたどった物。ホンモノ庚申さんはこんなかんじです。色はどぎついが味は上品。中はこしあん。 左下:「玉菊」菊をかたどった物。京都の和菓子屋ならこなしはこういう「モンブラン」状態ヾ(^^;)じゃなくて崩すかな。でも味は確か。 右上:正倉院展限定菓子。普通の薯蕷饅頭ヾ(^^;) 色違いで白あん白皮のものも。 右下:栗きんとん(たぶん 汗) お値段は菊が300円、それ以外はすべて250円。やはり京都に比べて良心的かな。お味もいいので超お奨めです。
土産を仕入れたところで、今日のメインイベント?「正倉院展」の行われている奈良国立博物館へ。 「もちいどの道」を逆走、そして売店の残飯にたかる鹿を横目に坂を東に向かって上ること10分強。 奈良国立博物館の入り口は… またまたこの行列(入るだけで15分_| ̄|○) 読○新聞は販促用にどれだけチケットまいたのやら…(呆) で、肝心の展示ですが。今年は「聖武天皇没後1250年」ということで史料類が多い展示となりました。要は文字ばっか。私はそれなりにおもしろかったですが、わけわからんともらったチケット持ってきた人にとってはひじょーにつまらない展覧会だったのではヾ(^^;)。どちらかというとこの時代に関心が高い人ならおもしろい、玄人向けの展示だったかな。 その後、引き続き旧館の仏像展示(常設展)も展示。唐招提寺の修理が終わりに近づいて、去年まで預かっていた国宝「薬師如来」「千手観音」が撤収していたので、ちょっと寂しい内容になっていました。 展覧会をすべて見終わると夕方の5時半。 もうすっかり暗かったのですが、奈良と思えないほどまだまだ人は多く、 鹿も相変わらず売店で ガクガクブルブル(((((((;゚д゚)))))))