ばんない写真館
実相院は近年JR東海の秋のCMで使われたことで全国的に有名になったお寺です。
門跡寺院として公家や皇族の子弟が住持した格式の高いお寺だったそうです。
地元ではもっぱらバスの終点としての方が有名でしょうか(^^;)
京都市地下鉄「国際会館」
京阪電車「三条京阪」から
京都バス「岩倉実相院」行きで終点で降りるといきなり実相院の門前です。
※クリックすると拡大写真表示
実相院は門跡寺院という格式ある寺社仏閣でありながら室町時代以前の詳細な歴史ははっきりしていないことも多いようです。
もともとここには
大雲寺という『源氏物語』「若紫」の舞台ではないかという説もある大寺があったのですが、そこが応仁の乱で衰微し、その跡地に洛中から実相院が引っ越してきたようです。
※ちなみに大雲寺、今も実相院の北隣に残っています…実相院より規模小さいですが。
ちなみにこの時の実相院再興に寄与した人物が義尊僧正。実はこの義尊、なんと室町幕府最後の将軍・足利義昭の孫!…ここ足利氏にも縁のお寺だったのです…元地元民ながら全くしらんかった…(-_-;)
ここからが話がややこしいのですが
義尊の母・古市胤子はもともと義昭の息子・義尋の妻だったのですが、義尋が慶長10年(1610年)に没した後、女官として宮中で働き始めます。ここで後陽成天皇の寵愛を受け皇子(後の聖護院門跡・道光法親王)を産むと、胤子の連れ子だった義尊も後陽成天皇の厚遇を受けるようになり、その支援をもって実相院を再建したようです。
足利義昭−足利義尋
|
├足利義尊
|
古市胤子(三位局)
|
├道光法親王
|
後陽成天皇 |
現在実相院の正門・客殿となっている建物も、その縁で皇室より下賜された物で、後陽成天皇の5代後・東山天皇の中宮・承秋門院(有栖川宮幸子女王)の大宮御所の建物を移築された物です。実は京都御苑の中の大宮御所の中の建物は残っていないのでこれは貴重な建築らしいです…が、玄関の辺りを見てもらうと分かるように鬼のようなつっかえ棒で支えている状態で、今度阪神大震災級の地震が来たら…((((((((
;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
※ということで、実相院では客殿の修理費用の寄付を絶賛募集中だそうです 詳しくは公式HPから
ちなみに参道や横の駐車場?に見えてる大量のビヤ樽???は住職が栽培している睡蓮の鉢。シーズン前なので全然でしたが_| ̄|○
残念ながら気になる客殿の中の撮影は禁止でしたが、庭はOKでした。
客殿の東が枯山水
客殿の西が池泉鑑賞式
となっています。
※両写真ともクリックで拡大写真表示
東側の枯山水ですが、移築前(大宮御所時代)からあったかどうかは分かりませんが、月見台らしき大きな広縁もあり開けた雰囲気です。
その枯山水庭園のはずれ(北側)の方に、多数の五輪塔や宝筐印塔が整然と並んでいました。
かなり古そうな物ですが、歴代住職の墓でしょうか?説明がないので詳細は不明です。
※実相院宮の墓所についてのHPがありました。現在は実相院も宮内庁も管理してないのか?相当な荒れぶりのようです。
こちらをご参照下さい。
西側の池泉庭園の方は、山が迫っているせいもあってかぎゅうぎゅうのうっそうとした雰囲気。
ちなみにこの庭園のもみじが客殿内の板間に照り返す風景をJR東海は「床もみじ」「床紅葉」と紹介してCMにしたわけです。
※あのCMのあと大量のマナーの悪い写真オヤジが来たために、写真撮影に厳しくなったようです>実相院。みなさんもマナーを守って楽しく観賞。
ちなみに池の向こうに見えてる茶室みたいな離れ、アレが今回の特別公開対象「実相院書院」です。後で紹介。
西側庭園を客殿南側より。
もみじのうっそう感がこちらのほうがよりわかりやすいかも。
書院へ行く渡り廊下から撮影した客殿。
左の方に鬼のような支え棒があるのが分かるかと思います。かなり痛々しい。
※別角度の写真は
こちら
ちなみにこちらの客殿までは通常でも公開しており、幕末の住職達の日記、原敬関連の遺品
(現在の実相院住職が原敬の親族とのこと)が展示されていました。
門跡寺院であるためかどうか、歴代住職は尊王攘夷派、とりわけ親長州派が多かったようで、徳川慶喜らを風刺したにやりとさせられる落書きなど、なかなか興味深い物が展示されていました。
原敬関連では皇室からもらったボンボニエールなどが展示されていました。
さて今回の特別公開でのみの公開となる書院は…
完全に撮影禁止_| ̄|○
ですので、チラシに載っていた写真をご紹介します。
部屋は3室か4室あったと思います。茶室程度の物かと思っていたので意外。外から見るより結構大きい建物でした。
この建物は元々実相院の物ではなく、先述の足利義尊の母・三位局古市胤子の縁の證光寺(現在は廃寺)の建物だったそうです。
写真の書院の棚の天袋の絵は岸駒によるもの。小さい上に地味な作品ですが岸駒の絵をこんなに接近してみられるのは滅多にないことなのでじっくり拝見しました。
床の間にかかっている掛け軸の筆者は後水尾天皇。「忍」のこの掛け軸は江戸幕府の圧迫を堪え
忍ぶ天皇の心情を書いた物として有名です。
他に後陽成天皇の書いた「仮名文字遣」(重要文化財)、「三十六歌仙画帳」(の一部)、あと正式名を忘れましたが清の時代に輸入されたという世界地図の屏風
(「星図屏風」「大清萬年一統地理全図」っていうらしいです。参照こちらのブログ)、足利義尊関連の史料を展示していました。
実家の近所にありながら全然関心がわかず(ヲイ)行ったことがなかったのですが、行ってみるとなかなかに興味深い寺院でした。足利マニア+江戸時代皇室マニアには必見のお寺かと。…しかし、寝殿のつっかえ棒は早く何とかなると良いですね。あと、余裕が出来たら所有している寺宝に関するパンフを作って欲しいです…
(床みどりの写真集ぐらいしかなかったので…)
次にこの近所にある
岩倉具視の隠れ家?に行きます。
続く。