とある日の神戸市中央区。 JR神戸駅+神戸高速鉄道高速神戸駅のすぐ北側にある 湊川神社。 実は神社としての歴史は非常に浅く、明治時代の創建である。 詳しい創建の経緯などはこちら 1 2 ここは南北朝時代の戦いの中で最も著名である「湊川の戦い」の旧跡とされ、元禄5年(1692年)、徳川光圀こと「水戸黄門」により楠木正成の墓が建立された場所である。 ちなみにこの時黄門様は神戸まで漫遊してないことを追記しておく。ヾ(^^;) 参道はこんな感じ。 ちなみに本殿は工事中のため、幕が掛かってかなり殺風景。最も歴史の浅い神社なので本殿はコンクリ造りなんですが_(。_゜)/
本題の「楠木正成の墓」はこの鳥居の手前に入り口があります。 鳥居に向かって右横、石柵と林立する灯籠に囲まれた一角があります。 ちなみにこの灯籠は高松藩の寄付による物。高松藩は光圀の息子が養子に入ったこともある藩です。(灯籠の裏写真) 柵内にはいるとやや小降りの灯籠が林立。 ※クリックすると別ウィンドウで大きい写真表示 こちらには「摂州尼崎藩」の文字が掘られています。湊川神社のあるこの辺りは尼崎藩の管轄だったようです。 正面には 昭和になって建てられた水戸光圀像。 その右手にある石碑は徳富蘇峰起草による頌徳文石碑。(ちなみに書いたとき、蘇峰92歳…)石碑の文はこちら。 ※写真内、カーソルの形が変わるところには拡大画像があります。 肝心の正成の「墓」はこの石碑の左隣にあります。 ※クリックすると別ウィンドウで大きい写真表示 亀さんの上に墓碑が載る「亀帙墓(きちつぼ)」という形式で、儒教形式に則った墓に非常に多いです。(会津藩主の墓碑もそうだったような)。 もちろん、中には楠木正成の遺骨や遺品は全く入ってないと思われますが、江戸時代の水戸学の遺跡としては十分見る価値があるかと。
ちなみに湊川神社の近所には 余りお世話になりたくない?ヾ(--;)神戸地方裁判所 正門前の交差点の南側には神戸土産としてかつて有名な瓦せんべいの 菊水総本店があります。