※「簡略版」のタイトルは、当方が撮影したアナログフィルムをUPするはずのスキャナーが壊れてしまい(ToT)、ツレのデジカメ写真を使っているためです(枚数が少なくて不満!)
2006年10月某日、北朝鮮の核実験で揺れる中?よりによってその北朝鮮との国境線にある板門店へのツアーに参加する羽目になりました(ToT) その時のドタバタは拙別館でうだうだと書いています。1 2 3 今回お世話になったのはこちら→国際文化サービスクラブ 実は板門店ツアーに参加するには 所定の会社の主催するツアーに参加しないと行けない のです。個人で近づくことは不可能です。撃ち殺されたいなら近づいてもいいけどヾ(--;) 当初はクレジットカード会社を通じてツアーを予約しようとしましたが、そちらの枠は既に満杯ということで、ネットで検索したこちらの方に申し込みました。 1名¥8000(土曜日は値段が上がって¥8500)ということでしたが、実際はウォン高のあおりを受け、およそ¥10000になってしまいました。高ッ。
当日はソウル一番のメインストリートに面した東和免税店に集合です。 明洞のロッテホテル集合の場合もあります(ロッテホテルに泊まっていたので、こっちだったら楽だったのだが…) これはロッテホテルから東和免税店に行く途中にあるソウルプラザホテル 『冬ソナ』の重要な舞台になったので、ご存じの方が多いのでは。ここには7年前泊まったが部屋が狭いのが難点かな。 その横を通るソウル一のメインストリート 突き当たりに南大門があるのですが…ここからでは余り見えません。 この交差点はW杯の時にサポーターが集まってきたりとか、集会の時によく使われます。この日も何かイベントが準備されていたようです。
集合場所の東和免税店。 店の入り口自体はビルの裏手にあり、表通りに面していないので分かりにくいかも(写真無い…_| ̄|○)。エスカレーターで降りるメイン店ではなくて、いかにも土産がそろっている1Fの方が集合場所です。 正確に言えば、その1F入り口の横にある折り畳み椅子+折り畳み机が集合場所です(爆) ここで受付を済ませましょう。そうそ、ここで1回目のパスポートチェックがあります。チェック後に受付係の人が返してくれると思います、忘れずに受け取りましょう。忘れると、肝心の板門店観光が出来なくなります。 後でバスの中で添乗員の方がお話しされていたのですが、板門店に行く橋の所でのチェックで、そのバスに同乗していた団体旅行のガイドの方がパスポートを受け取るのをすっかり忘れており、そのバスに乗っていた全員が板門店に行けずにソウルへ引き返すという悲惨な事件もあったそうです。
AM10:00過ぎにバスは出発。 大型観光バス2台に分乗(○。○)…核実験があった直後なのに(そんなコワイ物知らずの一人がうち一行だったりするが_| ̄|○) 社内はこんなの→ …お世辞にも趣味がよいとは言えないひらひらカーテン… バス自体は快調に高速道路を飛ばす。料金ゲートがなかったような気がするので、もしかしたらフリーウェイ?>韓国高速道路 …うーん、日本の高速道路張りに退屈ヾ(^^;) 韓国も高速道路沿いは団地と工場が多いように思いました。ただ、周囲に防音壁が付いてないのは大きな違いか?
1時間ほど爆走したあたりで脇道にはいる。ちょっと早いがお昼ご飯の休憩とのこと。 左:店内 右:入り口付近 …いちおう、「ドライブイン」ということらしいですが、出てきた料理(ちなみに韓国料理+西洋料理もどきのビュッフェ形式)が悶絶するほど不味かったことを明記しておきますヾ(^^;)…韓国2回行って今のところここが一番食えない料理だった…(-_-;) ちなみに店の入り口付近で叫んでいる(^^;)男性1名女性1名、今回の引率責任者であるガイド氏です。ヴィトンもってたなぁ>女性ガイドヾ(^^;) 「ドライブイン」の周りは なんもなく殺風景… と思いきや!!! 隣が「ラブホテル」だったんですよ(/o\) ラブホって、日本以外にも存在したのね…高速道路沿いにはそれらしい建物がなかったので、ここで見たときにはびっくり。カメラに納めた(おい)のですが、スキャナーが壊れてUPできない_| ̄|○
バスは再び爆走 だんだん国境に近づいているのか、人家が減って田んぼが多くなってくる。 ところで交差した高速道路の先に発見 ※クリックすると拡大写真表示 これは一見料金所のようにみえるがさにあらず。白い歩道橋?の上には爆弾が充填されており、万が一北朝鮮が侵攻してきた際にこの上を北朝鮮軍が通らないよう、自爆する装置なんだそうです… もっとも最近の韓国の世情とか見てみると北朝鮮が侵攻でもしようならみんな諸手をあげて歓迎しそうな雰囲気ですがヾ(^^;)
そして、最初の見学地「イムジン閣」 に到着。 ここは韓国国民が最も近づける「国境」の一つです。この先の板門店まで行く場合、日本人より厳しい審査がないと見学できないそうです(ガイド氏談)最も、最近は北朝鮮側の開城市まで行く地元業者も多いようで、この審査もいい加減アヤシイと思うのですが…。
ここには こういう石碑(望郷の歌の歌詞が刻まれている)があったり 但し、石碑のある場所は駐車場の端っこ_| ̄|○ ちなみに停まっているバスのデザインが、今回利用したツアーバスも含めて何故か全部同じデザインなので、集合時間に帰り着くのに難儀しました。 正面に見えるのが一応「北朝鮮が見える」(自称)展望台で、1Fのファミマにはおやつ、飲み物の調達でお世話になりました。…財布探すのにあたふたしていて、店員のおばちゃんの笑いを取ってしまったが(;¬_¬) 「望拝壇」という北朝鮮出身で現在韓国在住の人が先祖供養をするためのお供えの壇があったりします。離散家族にとっては、この公園の場所のメインはここでしょうが、私たち外国人観光客にとってこの公園のメインスポットといえば… 京義線(韓国側で)北端の地。 写真に見える木製の橋は、かつての列車橋を模した観光用の物で、ここを渡りきったところに、本当の京義線があります。 …(○。○) …実は、何人も京義線の線路内に立ち入ることは出来ないのです…列車は一台も走ってないにも関わらず(2006年10月時点)。京義線の中に立ち入り出来るのは管轄の軍人さんのみ。そこで、先ほどの観光橋の突き当たりにあるフェンスに、離散家族の人+その他諸々がこういう家族の安全を祈ったりしている(と思ぼしき)たすきや国旗を掛けるのですな。このフェンスの隙間から、その軍人さんが警備している小屋が見えたりします(残念ながらデジカメ写真無し_| ̄|○) 観光橋の上には「ここまでくるのに50年」という小さな記念プレートがあり、印象的でした(ちなみにハングル、英語、日本語併記。なんでやねん)。今じゃ韓国内ツーリングのメッカになっているらしい風光明媚なこの場所も、つい10年ほど前まで軍事上の理由で自由な立ち入りは禁止されていたそうです。 観光橋から見える北朝鮮までのびる京義線→ ちなみに2007年の5月に1度だけ臨時列車がここを走ったそうです(詳しくは更新履歴参照)
ここの見学時間は30分ぐらい。 ここから上記写真の橋の向こう?本日のメインイベント「板門店」へ向かいます。 ここからは写真撮影が厳しく禁止されています。 といいつつ私は大量に写真撮ったりしたのですが(ヲイ) その貴重な???写真をUPすることが出来ません(T-T) 簡単に板門店までの実況中継すると
ここで、今まで乗ってきたバスとは一端お別れ。 国連軍専用のバスに乗り換えます。社内の座席は自由ではありません。指定された座席に着席することが必要。 …とても1週間前に核実験やった国との国境に行くとは言えないちんたらした空気であるヾ(^^;) 観光バス2台に分乗してきたので、国連バスも2台に分乗。 バスを正面から。国連ブルーが綺麗な塗装。 ちなみにhyundai(現代自動車)製なのはさすが韓国か。 そして更に奥地に向けて出発 この駐車場から田園風景(!)の中を15分ぐらい?走ったところで一端下車。ここ「キャンプ・ボニファス」の倉庫にしか見えないブリーフィングルームにて、「板門店の歴史」の説明を受け、「例の殺されても文句は言わない誓約書」を書かされる。ちなみにキャンプ名の「ボニファス」とは後述の「ポプラ事件」の出演者(ヲイ)の一人。 その他、「ポプラ事件」「ソ連学生亡命事件」等の説明が韓国人ガイド(→日本語ぺらぺら)からかなりの早口でされて、更に「何かやらかしたら命の補償はない」と脅されるのであった。 この説明の間にパスポートが回収され、最後のパスポートチェック。 ここで撃たれないため?の名札→をもらうので、必ず胸につけておく必要がある。この名札は見学終了後に返還します。 その後、倉庫の横にある国連軍記念碑の前で記念撮影させられ ※帰りのバスの中で予想通り売りつけられました。1冊30000ウォン…ボッタクリ…ちなみにその写真の中には何故か後述の板門閣の前で集団撮影している(!)という冗談も甚だしい合成写真も一葉。こちらのブログに類例があります。 遂に最終目的地の板門店へ向けて出発(((((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル ちなみにここ行く途中の道路に「昭和十年」銘の入った小さな石碑を見つけました。総督府時代の欄干の一部だった物と思いますが。それは突然の出来事だったので写真が撮れなかったのが残念。
その後うねうね道を走ること10分ぐらい?さっきの倉庫ヾ(^^;)とはうって代わった立派なビルの前に到着。 ついに板門店 に到着です。 ちなみにこの写真中央にある3階建て?のビルは韓国側展望台から撮った北朝鮮の建物「板門閣」 手前にある倉庫ヾ(^^;)が会議室です。ちなみに水色が国連軍(韓国側)管理、グレーが北朝鮮側管理。韓国側から来た私たちは当然水色の建物の中しか見学できません(北朝鮮側から見学すると逆にグレーの建物しか見学できない)。 見学は自由 なわけがなく 乗車したバスごと2グループに分かれ、隊列を組んでそそくさと回って見学します。ちなみに持って降りることが出来る荷物はカメラ一台のみ。望遠レンズも三脚も駄目! 私たちは最初に倉庫会議室内を見学、後で「自由の家」という名前のあずまや展望台に登って、上記の北朝鮮側建物を撮ったわけです。 まず会議室。 上記写真で分かるように、国境をまたぐように建っています。 会議室内は自由に移動でき(但し北朝鮮側のドア前除く。そこには韓国軍の兵士がテコンドーポーズ仁王立ちなのでまず行けませんし、ガイドにも厳しく「そっちに行くな」と注意されます)、撮影も警備の兵隊さん(但し愛想0)の横に立ったり割と自由に出来ましたが…ツレの写真の中にはそれが1枚もありませんでしたヽ(`Д´)ノ。ちなみに、この兵隊さんの月給約80000円也…やすっ(それでも他地域の配属よりはかなり高いとのこと) 中には会議机と椅子が並んでおり、見た目が倉庫なら、中もかなり殺風景です。こんなところで極東の安全保障を左右する会議を行っているんですね。この会議室の中の移動が自由、ということは、ここは唯一日本人が平気でうろちょろ出来る「北朝鮮」と言うことになるわけです。最も会議室内の北朝鮮エリアは畳10畳分ぐらいですが。 ちなみにこの会議室見学中に北朝鮮仕官に会議室を取り囲まれる(但し国境ラインまで)…ということがたびたび発生しているようですが(○。○)こちらとか、幸か不幸か、私たちが行ったときには何も無しでした。正直「ほ」。 次に展望台に登ります。といっても狭い螺旋階段を上っていく、かなり低い建物。 しかも狭いし→ ワラワラ状態(^^;) ※何故かここからの撮影はかなり自由。 しかし、周りに何もないので、低くても北朝鮮側建物が一望できます。 板門閣を違う角度から。 板門閣の正門前に一名の北朝鮮士官、ブルーの会議室周辺に韓国兵士が一杯いるのが分かりますか? 向かって板門閣の右手にある監視塔。 1Fの窓が開いているのが分かりますでしょうか。これは北朝鮮側兵士が中でこっち側を監視している状態だそうで…ガクガクブルブル(((((((;゚д゚))))))) こちらのブログにその詳細な様子が紹介されています⊂(。Д。⊂⌒`つ 展望塔から見おろす韓国側。 とても紛争中の国境最前線とは思えない近代的雰囲気。白の服を着ている女性がガイド氏。観光客の行動は制限されていても、ガイドがうろちょろするのはOKらしい?ヾ(^^;)
ここの見学は30分弱で終了。再び国連バスに乗り込み、第三監視所に向かいます。 で。 その監視所に向かうときに …を走っていったのである(○。○) 北朝鮮士官の目前でっせ。今回のツアーで一番この時が怖かった。 その後、道は車線一本の急坂+急カーブとなり、「こんな所このバス入れるのか」と言うところを通って、監視所に到着。 監視所自体の写真が無くて申し訳ないが、コンクリート打ちぱなしの小さな建物。ちなみにいくつかある監視所の内、ここは一番高いところにある物だという。 監視所前の雛壇展望台右手の風景 ちなみにこの風景の解説は下記写真の通り 杭は国境線を示す物。北朝鮮の国境まで100mほどしかありません。最もその手前の芝生は地雷原らしいですが(○。○) 「例の物」はおみやげでも紹介したwarning看板です。誰も交換に行けないのですっかり字も読めないほどにサビあがっています(^^;) 韓国側に対抗するように、北朝鮮側の監視所も建っています。やや離れたところに宣伝放送用の拡声器の鉄塔も建っています(リンク先写真左側)。 でも 展望台と地雷原の間がチェーン一本だけって、万が一のことがあったらヤバイのではと思いますが…けつまづいて向こう側にこける人もいるかも知れないし(事実、今回のツアー参加者最高齢は80歳…)。 展望雛壇の一番前にある朝鮮半島停戦の記念碑。 当然ながら日本の国旗はありません(当時アメリカ占領中だったため)。それにしてもかなりの国が国連軍として参戦していたことに驚かされます。 監視所前展望雛壇から見える北朝鮮の光景 上記写真の解説↓ 「元々の板門店」というのは、1953年の停戦協定を結んだ会議場があるところで、現在は北朝鮮の所有となっています。北朝鮮側から板門店観光をした酔狂な方の体験談によると、向こう側のブリーフィングルームはこの建物らしい。 「国旗掲揚塔」はある意味、この板門店ツアーの名物で、ギネスブックにも載った世界で最も高い国旗掲揚塔。国旗はあまりの巨大さのため、滅多にはためかないと言うガイドのお話でしたが私が行ったその日 もはためいてませんでした! この国旗掲揚塔の麓にある団地が通称「宣伝村」です。かつては定住民0といわれていましたが、近年、開城市に韓国との合弁による工業団地が出来、この団地を改装して人が住んでいるらしい、との話でした。 個人的にはソウル周辺と比べて非常に緑豊かな点が印象に残りました。トンボが山のように飛んでいました。トンボに国境はないのね…。
また国連バスに乗って、上記写真でも紹介している「帰らざる橋」に移動。 ただし、非常に危険なため?ここは車内からの観光のみとなります。 ポプラ事件の記念碑 韓国側監視所からの視界の妨げになるポプラの木を国連軍が切ろうとしたところ、北朝鮮兵士が斧を持って飛び出し乱闘となる大事件となった。この時その斧で亡くなったアメリカ兵の一人が「ボニファス」氏。 記念碑の台座の○の大きさが、その時のポプラの直径と同じとのこと。 今じゃ、周りにススキが生い茂って、そんな凄惨な事件の現場と言うことを忘れさせてしまう。 「帰らざる橋」 ポプラ事件の記念碑のすぐそばにある。朝鮮戦争の捕虜交換に使われ、一度渡ったら対岸に戻ることは不可能なため「帰らざる橋」という名前になった。映画「JSA」の重要な舞台で有名かも知れない(映画の撮影は勿論ここではやってないですが)。 橋の袂には監視所がある。 橋の向こう側は勿論北朝鮮。向こう側にも監視所がある。世界で最も横断が困難な橋の一つだろう。
これで板門店観光は終了。その後国連バスは 基地内にある土産物屋に向かい_(。_゜)/ そこで、北朝鮮産というツツジ茶とか何故かメイドインチャイナのマグカップとか買ってしまったのだった_| ̄|○ … 最後はやっぱりこれなのかよ!ヽ(`Д´)ノ ああ哀しき団体旅行_| ̄|○
その後、最初に乗ってきたバスに乗り換え、一路ソウルへ。 高速道路も国境に面しているため、高圧電流線が真横に走っている。 その横を流れるのがフォーククルセイダーズの歌でも有名な「イムジン川」だが、当然河原への一般人の立ち入りは禁止されており、軍の監視所が100m間隔?で建っていたのであった。 イムジン川の向こうはやっぱり北朝鮮。
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