ばんない写真館
表紙写真>2006年度>許波多神社
京都で「許波多神社(こわたじんじゃ)」を名乗る神社は2カ所あります。
1カ所は京阪orJRの「木幡駅」を降りた近くにあるこちら
もう1カ所が京阪orJRの「黄檗駅」が最寄り駅の、今回拝観対象になっている神社です。
※両方の簡単な説明はwikipediaのこちらで。
今回も「するっと関西3days」を利用してたどり着いたので、到着したのは京阪の黄檗駅。
ところが!駅の周辺には全く案内看板などがなく(○。○)、許波多神社がどこにあるのか分からない。
降りて左手には
自衛隊の駐屯地。こちらに向かうのが正解。
(ちなみにその前に「本」の看板がありますが、この本屋で地図を立ち読みして場所を確認いたしました私(^^;)ご迷惑をおかけしました<(_
_)>)
自衛隊門前で道を左折。突き当たりの踏切でようやく最初の案内表示発見。→
その踏切を渡らずに、自衛隊駐屯地の塀沿いの道を歩くこと4分ぐらい。
見通しの良いカーブを曲がり(ようやく2個目の案内発見)
また次の交差点へ。
ところがここの交差点では全く案内がなく(○。○)、本屋で立ち読みした記憶だけを頼りに左折。
…普通の住宅街+茶畑の中を歩いていきます…(不安で一杯の私)
ちなみに左のアパートは、遺跡の上に建てられました。
延々と歩いていますが、全くそれらしい物は見えてきません…(T-T)
道も2車線が1車線になり、ますます心細くなってきます…とその時!
…ようやく幟発見(ほっ)
駅から歩くこと15分、何とかたどり着きました。
しかし、途中の案内看板は非常に少なく、しかも迷いやすいポイントには全く案内板が無くて、不親切きわまりなかったです。私が神社に到着してからも這々の体でたどり着いたという方を多く見かけました。道に迷っていた人は非常に多かったようです。(-_-#)
気を取り直して、拝観へ。が
…ちっちゃっ。ヾ(^^;)
…なんか本当に¥800取られてまで見る物があるのか不安が増す。
鳥居の横にある社歴を拝見。
許波多神社
祭神 瓊々杵尊
天忍穂耳尊
神日本磐余彦尊(諡 神武天皇)
当神社は孝徳天皇大化元年(645年)、勅願により皇祖の御神霊を奉祀するため創建せられ
「延喜式神名帳」(927)所載の大社である
永禄12年(1569年)9月正一位の神階を宣叙された。明治10年旧太和村柳山境域3万6千余坪擁し鎮座
の故に柳大明神と称し奉った |
…以下入力が非常にめんどくさいのでヾ(^^;)実際の写真をどうぞ 前半 後半
ともかく、見た目からは予想できないくらいのかなり古い歴史がある神社で、御摂家筆頭・近衛家とはかなり縁の深いところのご様子。
鳥居をくぐるとすぐ横に社務所があり、拝観料¥800を取られる。大人5人も座ればぎゅーぎゅーの社務所には
- 平安時代後期の神像(男神、女神2体、宇治市文化財)
- 平安時代の壺鐙(国重文)
- 近衛信尋の和歌色紙
などを展示。目玉は国重文の壺鐙だったようなのだが、私は欄間にかかっていた「近衛忠煕の額」とか「近衛忠大、ィ子親子+野口昭子氏の写真」に目が止まってしまいました(^^;) 詳しくは拙ブログにて
この社務所内は写真撮影厳禁だったので、全く証拠写真がないのが残念です。滅多に公開しないところなので、氏子以外は今後これらの物を見ることは難しいでしょう…_| ̄|○
次に鳥居の真正面にある拝殿+本殿へ。
拝殿(全景を入れようとしたら、鳥居の外まで出てしまいました 汗)
通常の拝殿といえば御殿形式になっているのに、ここは本殿までつーつーで、真ん中が空いてしまっているという特殊な様式が特徴。
ここの向かって左手には 社宝でもある御神輿二基+神面展示。御神輿は江戸時代の物で老朽化が激しく、担ぐことは出来ないとのこと。
その拝殿のすぐ前に本殿。(国重要文化財)
その前にあるわっかは「茅の輪」といいまして、土用の日にくぐるとその年は夏バテしないとか言ういわれが…11月なんですけどヾ(^^;)
今回の拝観対象はここまで。
というか本殿と拝殿は特別拝観じゃなくても、いつでも見られるんじゃ…ヾ(--;)
野口昭子氏写真を見つけた興奮は拝観内容のあまりの薄さに相殺され、拝観料¥800が妥当かどうか、微妙な許波多神社でした。
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