ばんない写真館
表紙写真>2006年度>>3月の京都国立博物館
3/3はお雛様の節句。
ということで一般家庭じゃ手も足も出ない(ToT)ゴージャスなお雛様が展示されているということでいって参りました。
京都国立博物館。
※クリックすると重文本館の写真を別ウィンドウで表示
…夕方で暗くってすみません。<(_ _)>
ちなみにこっちは西門(ホントの正門)から撮影したものですが、ふつう入場は南門からしかできない(はず)です。南門は写真が無くて申し訳ないが、超現代建築です。
京都国立博物館には何回もきているが、今回は時間的に余裕があるので構内を散歩してみる。
今回hp表紙も飾った梅の写真。※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示
ちなみに背景にあるでっかい銅の灯籠に見覚えのある人は、奈良に旅行に来たとき細かく観察をしていたに違いない。
これは東大寺大仏殿の前にある国宝の灯籠…の模造品。
五条大橋の欄干 ※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示
博物館敷地の南西隅にでっかく鎮座する安土桃山時代〜江戸時代の五条大橋の欄干。現在は五条通は国道1号線になっていますので、もちろんこんな石の欄干じゃ耐えられませんヨネ(^^;)コンクリート製になっています。
欄干に掘られた銘文「津国御影 天正拾七年五月吉日」の拡大写真はこちらで。御影石ってこのころからブランドやったのねー。
ちなみに五条通は平安時代から中世にかけて位置が変わってしまい、牛若丸と弁慶が決闘したといわれる五条大橋はこれでは無い(上流にある松原橋が平安時代の「五条大橋」)というのが定説になっています。
この他、安土桃山時代に京に存在していたキリシタンの墓石とか、結構野外にもいろんな文化財が展示してあったことに恥ずかしながら初めて気がつきました。みなさまもこちらに来られた際は館内だけでなく、野外にもご注目を。
さて。
今回の雛人形展は通常展の扱いなので重文の本館ではなく、コンクリづくりの新館で行われていました。そのためパンフレットが作成されておらず、当然館内も撮影禁止_| ̄|○
で、今回の写真は博物館だより(無料)に載っていたものを使用しております。ので、小さい写真しかないのはご容赦。<(_
_)>
会場の正面奥には、真ん中に東京式(現代式)の段飾り、右側と左側に旧関西式の御殿飾りが飾ってあります。
これが東京式
道具の数が多いためなんと10段飾り。しかも、お内裏様の横には太刀持ちの小姓、お雛様の横には女の小姓、そして官女が「五人官女」であり、五人囃子の下の段は「雅楽師五人」、随身の横には「采女」が立つなど、あまりにもゴージャスな作り。明治時代のある富豪が娘のために作らせた名品。
こちらが旧関西式 ※クリックするとカラー写真を別ウィンドウで表示
写真がこれしかなかったのだが、東京式同様に五人囃子、奴がついてくるものも展示されていました。
何よりも目立つのがお内裏様の鎮座する御殿。明治時代〜昭和初期まで関西で「雛人形」といえばこれだったという。が、収納と組立に手間がかかるために次第に廃れ、この御殿を造れる職人さんも消滅、現在はこの形式の雛人形を作ることは不可能、らしい(ToT) ということで、現在は関西で売っている雛人形もすべて東京式のみです。
もう一つの特徴が、点線で丸がされている竈。関西弁でいうところの「おくどさん」で、旧関西式の雛人形では最下段にはこの「おくどさん」やままごとの道具を置くのが正式とされた。つまり「雛人形で遊ぶついでに家事も勉強しろよ」というありがたーい(?)親心。ちなみに私、子供の時にどこぞの家でこれを覚えてきたらしく、自分の雛人形で遊んで母親を嘆かせたらしいです(ちなみに母親は鹿児島出身です、つまり東京風飾りしか知らなかったのね)。
ほかに旧関西式の特徴としては
・奴はたき火を囲んで宴会している形式がほとんど
・向かって右側にお内裏様、左側にお雛様を置く(ちなみにこの習慣だけは現在でも関西で守られている)
が挙げられます。
雛人形にはこういう地域性のほかに、時代による違いもあります。
この辺も実物でわかりやすく展示されていました。写真がないのが残念です_| ̄|○
(1)立雛
お内裏様は大の字、お雛様は腕がないこけしのようなタイプのもの。厄払いの人型として大昔からあったものの系譜をくむと考えられる。このタイプのお雛様も地味ながら根強く生産され続けていますね。
(2)寛永雛
江戸時代初期に作られた、初めて座像で作られた雛人形。しかし大きさは10cm前後しかなく、お内裏様は頭と冠が一体成形、お雛様も着ているのは十二単ではなく小袖で、しかも裾は袴の中に着込めているなど有職故実は完全無視である。
(3)元禄雛
江戸時代中期頃に作られたと考えられているもので、寛永雛より一回り大きいサイズ。お雛様は綿入れながら十二単風の重ね着になるなど進歩のあとが見られる。
ちなみに「寛永雛」と「享保雛」の中間形式のため「元禄雛」と名付けられているが、実際に作られた時代はもう少し下がるのではという説がある。
(4)享保雛
面長につり目、豪華な衣装が特徴で、大きさも異様に巨大で高さ40cmぐらいのものもある。富裕町人の間で大流行した。かなり流行したらしく、この享保雛から遺存例も多くなってくる。お雛様が「天冠」をかぶるのはこの享保雛から。
(5)次郎左衛門雛
18世紀後半、京都の人形師・雛屋次郎左衛門が作ったのが始まりとされる。丸顔に点のような目、点のようなおちょぼ口はあまりにも享保雛と対照的。また、服装の考証がいい加減だったそれまでの雛人形に対し、お内裏様がちゃんと衣冠束帯を着ているのも京都生まれの雛人形らしい特徴だろう。大名の間に流行し、その後町人の間にも流行した。この人気のため、雛屋はその後徳川幕府の御用達人形師にまで上り詰める。
(6)古今雛
安永年間(1772〜1782)に江戸の人形師・原舟月が作ったのが始まりとされる。今作られている雛人形はほとんどがこのタイプ。顔の作りがリアルであり、服装もリアルだが、生地が有職故実に沿っておらず、刺繍で豪華に装飾されるなどの特徴がある。
(7)有職雛
江戸末期の有職立雛(お内裏様:狩衣、お雛様:袴に打掛)
江戸時代末期に、京都で作られるようになった雛人形。有職を家業とする公家・山科家や高倉家が監修したといわれており、服装はきわめてリアルに江戸末期の公家風俗を再現している。お内裏様が衣冠束帯ならお雛様は十二単、お内裏様が直衣ならお雛様は袿袴装束、お内裏様が狩衣ならお雛様は袴に打掛…とドレスコードも完璧。首と胴体だけ人形師が作り、服装は公家の女性のお手製だったことも多いという。
ところで。
現代の人形店ではまるで自分ところの商標みたいに「有職雛」という名前を商品名に使っているところを多く見ますが、現物を見ると単なる古今雛だったりして実体が伴ってないものが多いですねえ(苦笑)
雛人形の展示は1室のみでしたが、かなり見応えがありました。
展示は4/2まで行われているので、ご興味のある方は是非お奨めします。